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駐ミャンマー大使を承認=22年ぶり、民主化を評価―米上院

Written By site on 2012年6月30日土曜日 | 4:17

6月30日(土)10時6分配信
 【ワシントン時事】米上院は29日、ミッチェル・ミャンマー担当特別代表・政策調整官の駐ミャンマー大使就任を承認した。米政府は1990年、ミャンマー軍事政権による民主化勢力の弾圧を理由に外交関係を格下げし、大使を空席にしており、22年ぶりの復活となる。

上組、ミャンマーに7月にも事務所開設=港湾開発に期待

 6月30日(土)6時0分配信
 港湾物流大手の上組は29日、ヤンゴン(ミャンマー)に7月にも「上組ヤンゴン事務所」を開設すると発表した。同国で港湾整備に必要な機材の物流業務を受注したためで、今後の同国での事業拡大に向け、体制を整える。

スー・チー氏、欧州から帰国…政治活動本格始動

6月30日(土)18時29分配信
【バンコク=石崎伸生】ミャンマーの民主政党・国民民主連盟(NLD)を率いるアウン・サン・スー・チー氏は30日、約2週間に及んだ欧州5か国歴訪を終え帰国し、最大都市ヤンゴンの国際空港で待ち受けた支持者の歓迎を受けた。
7月4日にはミャンマー議会が開会し、スー・チー氏は下院議員としての政治活動を本格始動する。

スー・チー氏帰国=欧州歴訪終え―ミャンマー

6月30日(土)13時13分配信
 【ヤンゴン時事】ミャンマー最大野党・国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー氏は30日、約2週間にわたる欧州歴訪を終え、帰国した。今後は7月4日に再開する国会に舞台を移し、議員としての活動を本格化させることになる。
 スー・チー氏は13日にミャンマーを出発、スイス、ノルウェー、英国など5カ国を訪問した。オスロでは1991年に受賞したノーベル平和賞の受賞演説を行い、88年に帰国するまで過ごした英国も訪れた。

(朝鮮日報日本語版) 米国、ミャンマーと22年ぶり外交関係正常化へ

Written By site on 2012年6月29日金曜日 | 4:39

駐ミャンマー米国大使に指名されたデレク・ミッチェル国務省ミャンマー特別代表・政策調整官(写真)は27日(現地時間)、ミャンマーが米国と外交関係を正常化するには、(ミャンマーの)対北朝鮮関係断絶が前提になるべきだと語った。

 ミッチェル特別代表・政策調整官は27日、米国連邦議会上院外交委員会での認証聴聞会で「米国はミャンマーの透明性不足や北朝鮮との軍事関係に対し、懸念を表明し続けてきた」という趣旨の発言を行った。米国は、ミャンマーで軍事政権が発足して以降、22年間にわたり大使を派遣していなかったが、バラク・オバマ大統領は先月、制裁措置を一部緩和すると同時に、ミッチェル特別代表・政策調整官を駐ミャンマー米国大使として正式に指名した。

 ミッチェル特別代表・政策調整官は「ミャンマー政府は、北朝鮮に対する国連安全保障理事会決議やほかの国際的不拡散義務を順守しなければならない。大使として正式に確定したら、ミャンマー政府との対話で、この問題を最優先に取り扱う」「ミャンマーが北朝鮮との違法な関係を完全に断ったと判断されるまで、両国関係の完全な正常化は絶対にない、とはっきり言いたい」と語った。

 これは、北朝鮮と核兵器開発など軍需部門で協力しているという疑惑を受け続けているミャンマー政府に対し、北朝鮮との関係断絶を迫るという米国政府の方針を再確認したものだと解釈されている。ヒラリー・クリントン国務長官も今年4月、ミャンマーに対する制裁解除の方針を示した記者会見で「米国はミャンマーに対し、北朝鮮との軍事協力中断など、中心的な懸念事項を提起し続ける」と語った。

三菱商、丸紅、住商など ミャンマーの工業団地計画に関心

経済発展が見込めるミャンマーをめぐっては、大手商社が最大商業都市のヤンゴンに加え、首都ネピドーでの事務所開設が相次いでいる。すでに丸紅や豊田通商、三井物産が進出しており、今秋までに住友商事や三菱商事、伊藤忠商事なども開設予定。狙いは政府機関と関係を強化し、インフラプロジェクトを発掘することだが、当面の最大の関心は最大の商業都市ヤンゴン近郊のティラワ経済特別区(SEZ)工業団地の開発だ。

 同工業団地は2400ヘクタールという羽田空港の約2倍の敷地に、工業団地や電力、上下水道などのインフラ、学校や商業施設も備えた数百億円規模の大プロジェクト。完成すれば「日本企業のミャンマー進出の後押しになる」(大手商社)と期待される。

 日本政府はこのほど、ミャンマー側に企業の進出度合いに応じて敷地の一部を2015年に部分開業し、30年までに3段階に分けて開発するマスタープランを提示。発電所の一部や空港、港湾の基幹インフラを円借款で賄うことを提案した。

 このプロジェクトには三菱商事や丸紅、住友商事などが関心を示し、日本側は年内に参加企業による計画を策定、来年1月にもミャンマー側から開発権を得た上で合弁会社を立ち上げたい考え。工業団地には、繊維や食品加工などの労働集約産業や自動車などの産業誘致が欠かせない。このため、日本貿易振興機構(ジェトロ)はティラワ開発の情報を共有する連絡会を今月21日に設置、関心を寄せる企業数は6000社にものぼった。

 ただ、15年の総選挙までに全体計画の完成を国内外にアピールしたいミャンマー政府は、商談相手としてライバル韓国勢の存在もちらつかせており、日本勢が一括受注できるかは予断を許さない。

 ミャンマーに対しては4月末、日本政府が25年ぶりの円借款再開を表明したが、プロジェクト全体の実行には時間もかかる。日本勢としては、まずは浮上している発電所や鉄道、上下水道の改修といった小規模計画の受注で実績を積む必要もありそうだ。

「ミャンマー」呼称求める=選管がスー・チー氏に

6月29日(金)14時17分配信
【バンコク時事】ミャンマー国営紙は29日、連邦選挙管理委員会が最大野党・国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー氏に対し、国名として「ビルマ」ではなく「ミャンマー」を使用するよう求める告知を掲載した。
選管は「国名は憲法でミャンマー連邦共和国と定められている」と指摘。NLDは政党として登録し、憲法護持を宣誓しており、これに従う義務があるとした。
スー・チー氏は軍事政権下で定められた「ミャンマー」の名称を認めず、記者会見などでも「ビルマ」を使っている。バンコクで開かれた世界経済フォーラム東アジア会議や訪問中の欧州で講演した際も同様にしたため、選管が注意を促した。

スー・チー氏 24年ぶりの外国訪問

Written By site on 2012年6月28日木曜日 | 5:25

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20120627-00000051-nnn-int

自宅軟禁を解かれたミャンマーの民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チー氏が24年ぶりの外国訪問を果たした。

27日の『デイリープラネット』「プラネット・View」は、「アウン・サン・スー・チー氏 24年ぶりの外国訪問」をテーマに、スー・チー氏の外国訪問から見えるミャンマー情勢について、外報部・横島大輔デスクが解説する。(動画配信のみ)

 http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20120627-00000051-nnn-int

ミャンマーに北朝鮮との関係断絶迫る=米政府

【ソウル聯合ニュース】駐ミャンマー米大使に指名されたデレク・ミッチェル氏は27日、上院外交委員会の人事公聴会で、「ミャンマーと北朝鮮の軍事関係に対し、米国は懸念を示してきた。ミャンマーとの国交正常化は北朝鮮との関係を断絶するのが前提」と主張した。ミャンマーへの米大使派遣は22年ぶり。
 ミッチェル氏はミャンマー政府との対話で北朝鮮問題を最優先に取り上げる予定で、北朝鮮との不適切な関係を絶つまで、国交正常化はないことを明確にすると重ねて強調した。また、ミャンマー政府は北朝鮮に対する国連安全保障理事会の決議と、核不拡散の国際義務を順守すべきだと述べた。
 これは核兵器開発など軍需部門で北朝鮮と協力を行っているとされるミャンマー政府に対し、北朝鮮との関係断絶を迫っている米政府の方針をあらためて示したものと受け止められる。

<スーチー氏伝記映画>主演のヨーさん「演じることに意義」

ミャンマーの最大野党党首、アウンサンスーチー氏(67)の半生を描いた仏映画「The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛」の日本公開を前に、主演のマレーシア人女優ミシェル・ヨーさん(49)が27日、東京都内で毎日新聞の取材に応じ、作品への思い入れを語った。

映画の制作が始動したのは、スーチー氏が自宅軟禁中だった07年のこと。脚本を目にしたヨーさんが自ら主役を演じることを前提に、フランス人映画監督リュック・ベッソンさん(53)に働きかけたのがきっかけだ。

ヨーさんは、「民主化活動家の姿よりも、妻であり2児の母でもある身近な女性としてのスーチー氏を演じることに意義を感じました」と動機を語った。

劇中のスーチー氏は軟禁で家族と引き離され、床に崩れ落ちて身もだえし涙を流す。「世間が彼女に対して抱いている鋼の女という印象を覆す」場面だ。

「ビルマ(ミャンマー)に関心を持てなかった人々が、映画を通じて彼女に感情移入し、政治への関心を高める。そうやって民主化への種をまければ、映画を作った目的は達成されます」

撮影はミャンマーの隣国タイで内容を秘したまま進められた。当時の軍事政権を刺激しないための判断だ。題名中の「ザ・レディー」は、公の場でスーチー氏の名を口にできなかったミャンマー国民が使った隠語。彼らがヨーさん演じるスーチー氏を銀幕で見られる日は来るのだろうか。

「今はとても無理ですが、希望は捨てていません。あの国が本当に民主化されたなら、きっと言論や表現の自由も保障されるはずですから」

映画は7月21日から角川シネマ有楽町ほかで全国公開。

【朴鐘珠】

アウン・サン・スー・チー氏、パリ名誉市民に 仏語でスピーチ

6月28日(木)12時8分配信
ヨーロッパを歴訪しているミャンマーの最大野党党首、アウン・サン・スー・チー氏は、27日、最後の訪問国フランスで、パリ名誉市民に選ばれ、フランス語でスピーチを披露した。
アウン・サン・スー・チー氏は「パリ市民の皆さんがわれわれの民主化への道程で、身近にいてくださることを願っています」と述べた。
ドラノエ市長からパリ名誉市民の称号を授与されたアウン・サン・スー・チー氏は、流ちょうなフランス語を披露した。
アウン・サン・スー・チー氏は、「あなた方のおかげで、われわれは民主化のゴールを達成するだろう」と謝意を示した。
その後、ファビウス外相と会談し、記念植樹を行った。
アウン・サン・スー・チー氏は、29日にフランスをたち、24年ぶりのヨーロッパ訪問を終える予定となっている。

<スーチー氏>仏大統領と会談

Written By site on 2012年6月27日水曜日 | 0:24

【パリ宮川裕章】フランスを訪問したミャンマーの最大野党・国民民主連盟(NLD)党首のアウンサンスーチー氏は26日、オランド仏大統領と会談した。終了後の記者会見で「ミャンマーの経済発展は、民主主義を強化する形でなければならない」と述べ、開発や投資にあたっては透明性の確保が重要との認識を強調した。

オランド大統領は会見でミャンマーの民主化について「可能なあらゆる支援をする準備がある」と述べ、とくに「自由な選挙」「政治と労働組合の自由」「少数民族の尊重」などの分野で支援する意向を表明した。

会見でスーチー氏は海外からの投資に関し「とくに(石油などの)採掘産業での経営の透明化」を指摘。一方「教育制度の向上とともに、学位取得者が困難に挑戦する気概を持つ環境を作らなければならない」と述べた。

伊藤園、ミャンマーで「お~いお茶」を製造・販売へ

 6月27日(水)11時52分配信
 伊藤園は27日、ミャンマーで茶飲料「お~いお茶」などの清涼飲料を製造、販売すると発表した。28日に東南アジア事業を管轄する現地法人をシンガポールに設立した上で、今秋までに現地企業との間で合弁会社を立ち上げる。日本の食品大手が同国に生産拠点を設けるのは初めて。経済開放で消費市場の拡大が見込めると判断した。

 合弁会社は伊藤園が過半数を出資する。ミャンマーでは清涼飲料を製造する工場も新設するほか、現地の茶畑を活用した茶葉の生産も検討している。

 経済の中心都市、ヤンゴンをなどで「お~いお茶」や紅茶飲料「ティーズティー」、ミネラルウオーターなどを販売する。大衆向けのため、現地の飲料と同レベルの価格に設定する予定だという。「競合が少ない段階で早期に動くことで今後の成長を取り込む」ことを狙い、3年以内の黒字化を目指す。

 同社は同時にベトナム、シンガポールでも合弁会社を設立し、清涼飲料の製造販売に着手する。アジア市場に積極進出することで、約2%にとどまっていた海外売上高比率の引き上げを図る。

 ミャンマーは民主化の進展に伴い経済の開放、改革が進んでおり、欧米各国も経済制裁の停止、解除に向けた動きを進めている。日系企業も、カジュアル衣料チェーン「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングが縫製工場の設置を計画するほか、コンビニエンスストアのローソンも出店に向けた調査を進めている。

アウン・サン・スー・チー氏、パリでオランド大統領と会談

 6月27日(水)12時52分配信
ミャンマーの最大野党党首、アウン・サン・スー・チー氏は、24年ぶりのヨーロッパ歴訪中、最後の訪問国となるフランス・パリで、オランド大統領と会談を行った。
会談で、アウン・サン・スー・チー氏は、民主化プロセスへ向けたフランスの協力を求め、オランド大統領も全面的に支援する考えを示した。
アウン・サン・スー・チー氏は、会談後の会見で、ジョークも交え、自らがフランスから受けた影響を語った。
アウン・サン・スー・チー氏は「作家のビクトル・ユゴーからオニオンスープまで、フランスの多くのものから影響を受けたわ。フランスの革命精神は、私の政治闘争にとって、常に重要なものでした」と述べた。
アウン・サン・スー・チー氏は、パリ滞在中、名誉市民として表彰されるほか、大学での討論会などに参加し、29日に帰国の途に就く。

<スーチー氏>自宅を巡る遺産相続裁判で敗訴…独紙報道

Written By site on 2012年6月26日火曜日 | 5:19

6月26日(火)17時21分配信
 ミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」党首、アウンサンスーチー氏がヤンゴンの自宅を巡る遺産相続裁判で敗訴したと独紙フランクフルター・アルゲマイネが26日伝えた。スーチー氏側は控訴する方針という。

 同紙などによると、訴えていたのは米国在住の兄、アウンサンウー氏。ウー氏は00年、スーチー氏が所有する家の所有権の半分を求め提訴していた。判決で裁判所はウー氏側の主張を認めたという。ウー氏は約40年間、米国で生活している。

 家は2人の父で1947年に暗殺されたアウンサン将軍が所有していた。スーチー氏は軍事政権によってこの家に15年間自宅軟禁されていた。

富士古河E&C、ミャンマーに10月現法設立=工場の電設工事展開

Written By site on 2012年6月23日土曜日 | 5:38

富士古河E&Cは22日、ミャンマーに総合設備工事を手掛ける現地法人を10月1日に設立すると発表した。同国の今後の経済成長に併せて日系製造業の進出が見込まれるのに対応する。各種工場の電気や空調の設備工事を中心に事業を展開する方針。

日本企業のミャンマー進出支援=三菱東京UFJ銀など大手3行

6月23日(土)17時0分配信
 民主化を進めるミャンマーへの進出を目指す日本企業の増加に対応し、三菱東京UFJ銀行など大手3行が現地での進出支援体制を強化している。同行は4月にヤンゴンとダッカ(バングラデシュ)の両駐在員事務所長の兼職を解除し、専任に変更。みずほコーポレート銀行も同月、ヤンゴンに駐在員事務所を新設した。三井住友銀行は将来の提携も視野に、同国最大手のカンボーザ銀行と人材育成や技術支援の覚書を締結した。
 三菱東京UFJ銀はヤンゴン駐在員事務所長を専任に切り替えた4月からこれまでに、ミャンマー進出を目指す顧客150社の相談に応じ、今年度1年間では前年度の3倍に当たる約600件の助言、支援業務を提供すると見込む。

スー・チー氏が英議会で演説 外国人女性で初めて

Written By site on 2012年6月22日金曜日 | 3:32

6月22日(金)16時32分配信
 ヨーロッパ歴訪中のミャンマーのアウン・サン・スー・チー氏がイギリス議会で演説し、議会政治発祥の地のイギリス議会を参考にミャンマーの民主化を進める考えを示しました。

 アウン・サン・スー・チー氏:「ミャンマーはより良い未来へ歩み始めている。困難を乗り越え、亀裂を埋め、障壁を打ち破らねばなりません」
 スー・チー氏は演説で、いまだに軍出身者が議席の4分の1を占めるミャンマー議会の改革に取り組む姿勢を示しながらも、「民主的で公正な社会を実現するために支援が必要」と訴えました。イギリス議会での演説はアメリカのオバマ大統領や南アフリカのマンデラ大統領ら数例しかありません。演説に先立ち、スー・チー氏は下院議長から「国家元首以外で初めて、外国人女性で初めて、アジア人で初めて」と紹介され、異例の待遇であることが強調されました。

スー・チー氏、英議会で「異例」の演説

6月22日(金)0時51分配信
 イギリスを訪問中のミャンマーの民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チー氏がイギリス議会で演説を行い、「今回の旅は過去を訪ねる旅ではなく、未来を見据えた旅だ」と語りました。国家元首以外の外国人がイギリス議会で演説するのは初めてのことです。

 イギリス議会の上下両院の議員を前に演説を行ったスー・チー氏。学生時代や主婦時代を過ごしたイギリスへの24年ぶりの訪問の意義を、こう語りました。

 「今回の旅は、過去を訪ねる感傷的な巡礼ではありません。ミャンマー(ビルマ)国民にとって新たな機会を探るための旅です。もし今回の改革のチャンスをうまく生かさなければ、同じような好機をまた数十年待ち続けることになりかねないのです」(アウン・サン・スー・チー氏)

 演説でスー・チー氏は、ミャンマーの議会は、まだ「十分に透明性がない」と語り、民主的な制度を整備するため、長い議会の伝統を持つイギリスに手助けをしてほしいと述べました。

 「テインセイン大統領による改革は歓迎ですが、改革は個人の考えに左右されてはいけません。しっかりした制度がなければ、改革のプロセスは持続しません。イギリスなど民主的な国が、その経験を共有してくれることを願います」(アウン・サン・スー・チー氏)

 スー・チー氏はこう述べたうえで、軍事政権が定めた現在の憲法を改正する必要性を訴えました。

 イギリス議会で演説に臨んだ外国人は、これまで南アフリカのマンデラ元大統領など4人だけです。外国人女性が臨んだのは初めてで、また、国家元首ではなく野党の党首による演説も初めてのことで、今回の訪問に対するイギリス側の歓待ぶりが現れています。

死者80人、避難民9万人超 ミャンマー・ラカイン州の衝突

Written By site on 2012年6月21日木曜日 | 6:45

6月21日(木)19時10分配信
 【シンガポール=青木伸行】ミャンマー西部ラカイン州では、仏教徒と、イスラム教徒のロヒンギャ族との衝突が非常事態宣言後も収まらず、死者は80人以上、避難民は9万人以上にのぼっている。

 今月10日夜に非常事態宣言が出されたラカイン州には、陸・海軍が投入され厳戒態勢が敷かれている。その間隙を縫うように、19日には州都シットウェから約65キロの村で新たな衝突が発生、8人以上が死亡した。

 ロヒンギャ族が5月28日、仏教徒の27歳の女性を暴行した事件を契機に拡大した衝突では、多くの行方不明者もおり、死者数はさらに増える見通し。また、女性を暴行した3人のロヒンギャ族は逮捕され、1人は拘留中に自殺し、残る2人は死刑判決を受けた。

 深刻な問題となっているのは大量の避難民だ。その数は世界食糧計画(WFP)の推計によると、約9万人。WFPはコメなど2800トンの緊急食糧を用意し、6万5千人に支給したものの、2万5千人にはなお、行き届いていないとしている。

 ミャンマーでは2008年、台風の被害で13万8千人以上が死亡した。このとき当時の軍事政権は、国際社会からの支援受け入れを事実上、拒んだ経緯がある。非政府組織(NGO)のアムネスティ・インターナショナルの関係者は、「ミャンマー政府の今回の対応は台風被害時に比べると、はるかにいいが、それでも遅い。人道支援は急を要している」と指摘する。

 ロヒンギャ族の避難民は陸・海路で、国境を接するバングラデシュに押し寄せている。だが、バングラデシュはすでに、過去にミャンマー政府の弾圧から逃れてきたロヒンギャ族約30万人を、公設キャンプなどに抱えており、新たな避難民の流入を拒絶している。

自宅軟禁中に「慰められた」、スー・チー氏が英DJに感謝

[ロンドン/オックスフォード 20日 ロイター] 英国を訪問しているミャンマーの最大野党党首アウン・サン・スー・チー氏は19日、ロンドンの英BBC放送を訪れ、自宅軟禁中に聴いていたという同局の音楽ラジオ番組に「慰められた」として、DJに感謝の意を述べた。

U2のボノ、スー・チー氏にアムネスティ栄誉賞手渡す

この日、67歳の誕生日を迎えたスー・チー氏は、15年に及んだ自宅軟禁中に聴いていた同局の音楽リクエスト番組「A Jolly Good Show」のDJ、デーブ・リー・トラビス氏と対面。トラビス氏は「(スー・チー氏が聴いていたと知って)本当に驚いた。世界中に4000万人のリスナーがいるが、世界的な指導者が聴いていて、しかも慰められていたことに感動した」と語った。

スー・チー氏は「どこにいてもBBCはいつも一緒だった」とし、「(BBCが)私と世界との懸け橋となってくれた。誰とも接触できないときに、外の世界で何が起きているのか知ることができた」と述べた。

また、スー・チー氏は20日、母校オックスフォード大学を訪問し、名誉博士号を受けた。自宅軟禁中の1993年に授与が決まったもので、19年越しの授与式となった

<スーチー氏>政権に意欲…BBCに問われ「YES」

Written By site on 2012年6月20日水曜日 | 5:37

6月20日(水)21時5分配信
 【バンコク岩佐淳士】ミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」党首、アウンサンスーチー氏は19日、英BBC(電子版)のインタビューで、将来的に国民を率いる指導者となる意思があることを明かした。15年に予定される総選挙で政権獲得を目指すスーチー氏の意気込みを印象づけた。

 スーチー氏は「私だけがビルマ(ミャンマー)の民主化に努力してきたのではない」と述べ、民主化進展に尽力した多くの同志たちをねぎらった。そのうえで、国の指導者になる意思があるかどうかを問われると「国民を正しく導けるならば、イエスだ」と答えた。

 また、最大の懸案とされる少数民族問題については「和解し『国民統合』を成し遂げるためには、各少数民族の自治権獲得への思いに応える努力をすべきだ」と語った。

 スーチー氏とNLDは国民から熱烈な支持を受け、4月の議会補欠選挙で圧勝した。この勢いが続けば15年の総選挙でもNLDが多数の議席を獲得する可能性が高い。ただ、旧軍事政権下の08年に制定された憲法は、大統領の資格要件に「配偶者や子供などが他国の影響力下にあったり、市民権や特権を与えられていないこと」と定めており、英国籍の息子を持つスーチー氏が大統領になるには憲法改正が必要だとみられる。

スー・チー氏に名誉博士号=オックスフォード大、市民も歓迎―英

6月20日(水)19時13分配信
 【オックスフォード(英南部)時事】英国を訪問中のミャンマー最大野党・国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー氏は20日、母校のオックスフォード大学から名誉博士号を授与された。
 オックスフォードは、同氏が1960年代に同大で学生生活を送ったほか、88年にミャンマーに帰国するまで夫や息子2人と長年暮らしたゆかりの地。会場近くには大勢の市民が集まり、「ミャンマー民主化運動のヒロイン」の24年ぶりの訪問を歓迎した。
 スー・チー氏は67歳の誕生日を迎えた19日にオックスフォード入り。同地在住の次男キム氏や友人らと誕生日を祝ったもよう。21日はキャメロン首相と会談するほか、ロンドンの議会で演説を行う。

国家指導者に意欲―スー・チー氏=2015年の総選挙後

 6月20日(水)11時42分配信
 訪英中のミャンマー最大野党・国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー氏は19日、英BBC放送(電子版)のインタビューで、2015年に見込まれる次期総選挙後、国家指導者となる意欲を問われ「国民を正しい方向に導けるなら(答えは)イエスだ」と述べた。10年11月の自宅軟禁解除後、公の場で、政権獲得への意志を最も強く打ち出したものと受け止められている。

スー・チー氏、アイルランドで表彰&祝福

Written By site on 2012年6月19日火曜日 | 2:12

6月19日(火)14時36分配信
 ヨーロッパを訪問しているミャンマーの民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チー氏は18日、アイルランド・ダブリンで国際人権団体の特別イベントに参加し、地元出身のロックバンド「U2」のボノ氏らから記念の表彰を受けた。

 スー・チー氏「(世界の)人々が私たちのことをこんなにも気にかけてくれていると知り、とても驚き、感動しています」

 また、会場の外では、19日の67歳の誕生日を前にケーキが贈られた。

 スー・チー氏はこの後、次の訪問地であるイギリス・ロンドンに移動、19日には母校などを訪問する予定。

スー・チー氏に “良心の大使賞”

6月19日(火)14時11分配信
 国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」が、アイルランド訪問中のミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏を招いて、その功績をたたえるコンサートを開きました。

 「こんなに多くの人々に我々の運動を支持していただいているなんて、今回の歴訪を始めるまで知りませんでした」(アウン・サン・スー・チー氏)

 コンサートにはスー・チー氏の解放を訴え続けていたロックバンドU2のボノさんも出演。国家権力に対し、非暴力で主義主張を訴え、達成した人に贈られる「良心の大使賞」がスー・チー氏に手渡されました。

スー・チー氏記念コンサート=「人権賞」授与式も―ダブリン

6月19日(火)6時11分配信
【ロンドン時事】欧州歴訪中のミャンマー最大野党・国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー氏は18日、オスロからアイルランドの首都ダブリンに到着した。同日夜には訪問を記念するコンサートや集会が市内で開かれ、集まった大勢の市民らが同氏を祝福した。
コンサートは国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが主催したもので、アイルランドの歌手ボブ・ゲルドフ氏らが出演。同団体の人権賞「良心の大使賞」の授与式も行われ、ミャンマー民主化運動を支援してきた人気ロックグループ「U2」のボノ氏が壇上でスー・チー氏に賞を手渡した。

ミャンマーの建設・インフラ市場開拓へ=韓国

Written By site on 2012年6月18日月曜日 | 7:31

【ソウル聯合ニュース】官民合同で構成された韓国の「海外建設受注支援および水産業開拓団」が19~21日、ミャンマーを訪れ、建設・インフラ分野の受注に向けた活動を行う。国土海洋部が17日、明らかにした。
 先月14日に行われた韓国・ミャンマー首脳会談で合意した建設・インフラ協力の後続措置で、代表団には外交通商部、環境部、公共機関、民間企業が含まれた。韓国側はミャンマー当局と空港や港湾建設、物流・海運分野での協力案を協議する。
 一方、18日にはマレーシアを訪れ、両国間の水資源政策などに関する政策と技術を共有する。

スー・チー氏、平和集会に出席=ボノ氏の自家用機で移動

6月18日(月)20時24分配信
 【ロンドン時事】1991年に受賞したノーベル平和賞の受賞演説を行うためノルウェーを訪れたミャンマー最大野党・国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー氏は18日、オスロ郊外で開かれた平和をテーマにした集会に出席した。
 集会にはノルウェーのストーレ外相のほか、慈善活動家として知られ、ミャンマー民主化運動を支援してきた人気ロックグループ「U2」のボノ氏も加わった。
 ノルウェー外務省によると、スー・チー氏はこの後、次の訪問地アイルランドのダブリンに向かうため、ボノ氏の自家用ジェット機に搭乗。スー・チー氏の熱心なファンとされるボノ氏は公式ホームページで「スー・チーさんの気品と勇気が、世界を民主的な方向に向かわせた」と語った。

スー・チーさんの24年ぶりの訪英までの道のりを取材しました。

6月18日(月)13時17分配信
ヨーロッパを歴訪しているミャンマーのアウン・サン・スー・チーさんは19日、24年ぶりにイギリスを訪れます。
かつて、イギリス人の夫と家庭生活を営んだイギリスへの「帰郷」がようやく実現するまでには、軍事政権によって夫と引き裂かれた苦しい道のりがありました。

アウン・サン・スー・チーさんが通っていたオックスフォード大学セントヒューズカレッジ。
20日に、アウン・サン・スー・チーさんへの名誉博士号の授与式が予定されていて、大学では、歓迎の準備が進められている。
学生は「とても楽しみです。スー・チーさんを迎えるため、学内の壁も塗り直されました」と話した。
勉学に励んでいた、およそ40年前の1972年、アウン・サン・スー・チーさんは、イギリス人学者のマイケル・エアリスさんと出会い、結婚した。
友人の広瀬洋子放送大学教授は、この時、2人は「ある約束」を交わしたという。
友人の広瀬さんは「(アウン・サン・スー・チーさんは)『ビルマの国民が、わたしを必要とするときが来て、何かわたしが動くときがあったら、それを許してほしい』と。マイケルは、それを承諾して、スーと一緒になったんです」と話した。
その後、互いに支え合う、良き夫婦となった2人。
広瀬さんは「(マイケルは)スー・チーさんを本当に大切にしてたわね。『またスーに怒られちゃった』なんて言って、おちゃめに笑ったりするようなところがあった」と話した。
しかし、アウン・サン・スー・チーさんがビルマで軟禁されると、生活は一変した。
イギリスに残ったマイケルさんは、2人の息子の子育てや、慣れない家事に悪戦苦闘し、その一方で、アウン・サン・スー・チーさんのことで胸を痛め続けた。
広瀬さんは、「(1995年の来日時)ふっと力が抜けた時に、『疲れた』と(マイケルが)言って。スーの身の安全、命の保証。それはもう、言葉にできないほど、のしかかっていたと思いますよ」と話した。
妻を解放する手だてを模索していたマイケルさんだが、1999年に、がんで他界。
軟禁中のアウン・サン・スー・チーさんとは、会えないままだった。
マイケルさんは、オックスフォードから北に50km離れた小さな村の墓地で、今も眠っている。
この墓地には、マイケルさんの先祖が埋葬されていて、マイケルさんも、亡くなる2年前に訪れていた。
教会関係者は「マイケルさんの墓石には、妻の名が記されていないので、彼が誰なのか、みんな知らないし、来る人も少ない」と話した。
アウン・サン・スー・チーさんは、今度の訪問で、マイケルさんの墓参りもするとみられている。
広瀬さんは「(アウン・サン・スー・チーさんは)夫の死に目にも会えず、息子たちの一番大切な成長の時期にも、母としての役割ができず。本当に1人で、こもって泣くことが何度もあったと思いますね」と話した。
アウン・サン・スー・チーさんは、ノーベル平和賞の受賞演説で「自宅軟禁の時、もはや自分が、現実世界の一員ではないように感じることが、しばしばありました」と語った。
19日は、67歳の誕生日を息子たちと祝い、21日には、イギリス議会で演説をして、ミャンマーの民主化支援を呼びかける。

<スーチー氏>「自由で平和な世界を」…ノーベル平和賞講演

Written By site on 2012年6月16日土曜日 | 7:01

6月16日(土)21時28分配信
【オスロ小倉孝保】ミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」の党首アウンサンスーチー氏は16日午後(日本時間同日夜)、オスロ市内でノーベル平和賞受賞(1991年)の記念講演を行った。スーチー氏は「ノーベル平和賞の受賞は、世界の人々の関心をビルマ(現ミャンマー)の人権や民主主義の闘いに引きつけた」と述べ、受賞がミャンマーの民主化を大きく後押ししたことに感謝した。

 スーチー氏は「私たちの最終目標は誰もが自由で平和に暮らせる世界を築くことです。安心して眠りに就いて幸せな目覚めを迎えられるような世界を作るために手を携えましょう」と、当たり前の幸せの大切さを強調した。

 また、自らが党首を務めるNLDについて「国民和解のため、いかなる役割も果たしていく」と述べ、現政権とともに国造りに協力する意向を改めて表明した。一方、「テインセイン大統領が進める改革は、国民生活の向上が伴ってこそ、評価できる」と、注文をつけた。

 国内で最大の課題とされる少数民族の対立に関し「ひとつの軽率な行為が停戦を駄目にする」と、同国西部で激化するイスラム教徒と仏教徒間の対立に懸念を示した。

 受賞当時、スーチー氏はヤンゴンで自宅軟禁下にあり、音の悪いラジオで自らの受賞の様子を聴くしかなかった。記念講演は「捕らわれの身」から一転、自由に政治活動できるようになった環境の変化を示し、民主化を求め続けたスーチー氏の闘いの一つの到達点と言える。

 スーチー氏は91年10月、軍の圧政に屈することなく、非暴力で民主化を求める姿勢が評価されノーベル平和賞に選ばれた。同年12月の授賞式には、夫のマイケル・エアリス氏(99年3月死去)や、長男のアレクサンダー氏、次男キム氏が代理出席。賞金の130万ドルはミャンマー国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。

「建国の父」アウンサン将軍の長女として生まれたスーチー氏は、英国で暮らしていた88年、母の見舞いのため、ミャンマーに帰国。NLDの書記長に就任し、軍政に対抗したが、これまで3度自宅軟禁されている。日本との関係も深く、85年から約1年間、京都大学で研究員を務めていた。

 スーチー氏はこの日の記念講演後、ノーベル平和賞受賞者について紹介した「ノーベル平和センター」(オスロ)を訪れ、夜はノーベル賞委員会委員の夕食会に出席する。

受賞から21年…スー・チー氏がノーベル賞演説

6月16日(土)20時58分配信
 【オスロ=佐藤昌宏】ミャンマー民主化運動指導者で、政党「国民民主連盟(NLD)」を率いるアウン・サン・スー・チー氏(66)は16日、オスロ市庁舎で、1991年に授与されたノーベル平和賞の受賞演説を行った。

 スー・チー氏は演説の冒頭、「(91年に)授賞が発表された時にどんな反応をしたか思い出すのが大変でした」とした上で、「ノーベル平和賞が世界の注目をビルマ(ミャンマー)での民主主義や人権への戦いに引きつける役割を果たしてくれた」と謝意を述べた。

 さらに、「国民和解に向け、どんな役割でも買って出たい。テイン・セイン政権が開始した改革は、国民各階層の十分な協力で初めて持続される」と強調する一方、国際社会にも改革への協力を要請した。

スー・チー氏がノルウェー到着、受賞演説へ

6月16日(土)9時31分配信
 ミャンマーの民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チー氏が15日、ノーベル平和賞の受賞演説を行うため、ノルウェーの首都・オスロのホテルに到着し、ミャンマーの民族衣装などを着た大勢の人々から熱狂的な歓迎を受けた。

 スー・チー氏は自宅軟禁中の91年に平和賞を受賞したが、当時の授賞式には長男が出席、今回、21年越しの受賞演説を行う。

 スー・チー氏「実は、私は(演説の内容を)この20年間準備していたわけではなく、先週考えました。しかし、もちろん20年間の経験の成果を盛り込んだものになります」

 受賞演説は日本時間16日夜、オスロ市庁舎で行われる。

コカ・コーラ、60年ぶりにミャンマー進出 重点投資を発表

6月16日(土)16時42分配信
(CNN) 飲料の世界最大手コカ・コーラは16日までに、民政移管後に政治、経済改革が加速するミャンマーでの事業展開に60年ぶりに復帰する計画を明らかにした。同国市場への進出に必要な許認可申請を既に行ったという。

同社が進出していない国や地域は、世界でミャンマーやキューバ、北朝鮮の3カ国のみだった。

コカ・コーラは報道機関向け声明で、ミャンマーに対し今後3~5年間で顕著な投資を実施すると表明。地元の提携先を模索する間、近隣国に製品を輸送しミャンマーで販売するとしている。

全ての市場で系列企業を設け、販売や流通、生産を担わせるのが同社の国際戦略とも強調。コカ・コーラ社の慈善福祉部門はミャンマーの女性の経済活動参加を促すため300万米ドルを寄付するとも発表した。

ミャンマー軍政の権限移譲を受けた民政は経済改革を急いでおり、最大都市ヤンゴンでは最近、原油や天然ガス開発の海外投資を募る会合が開かれた。政治面では、自宅軟禁措置に長年強いられていた最大野党を率いるノーベル平和賞受賞者のアウンサンスーチー氏の政治的活動が許され、今年実施された議会補選で議席も得ていた。

ただ、少数派民族との和解など国内統合へ向けた課題は山積し、同国西部では最近、仏教徒とイスラム教徒の間で抗争が起き、当局は非常事態の宣言に追い込まれている。

宗教対立で50人死亡=3万人が避難生活―ミャンマー

 6月16日(土)14時34分配信
 【ヤンゴンAFP=時事】ミャンマー西部ラカイン州で仏教徒とイスラム系少数民族ロヒンギャ族との宗教対立が激化している問題で、地元メディアは16日、5月下旬以降の衝突で住民50人が死亡、54人が負傷したと報じた。
 ラカイン州では、仏教徒の女性がイスラム教徒にレイプ・殺害されたことから宗教衝突に発展。関係者によると、双方で民家数千軒が焼き打ちに遭うなどして、住民3万人以上が避難生活を余儀なくされている。

<スーチー氏>オスロで会見「この日が来ると信じていた」

6月16日(土)11時12分配信
 【オスロ小倉孝保】欧州歴訪中のミャンマーの民主化運動指導者で最大野党「国民民主連盟(NLD)」の党首アウンサンスーチー氏は15日夜(日本時間16日未明)、ノルウェー・オスロ市内で記者会見し、16日にノーベル平和賞受賞(1991年)の記念講演を行うことについて、「ここに来るのは容易な旅ではなかったが、この日が来ることを信じて疑わなかった」と述べ、軟禁中も希望を失わなかったことを明らかにした。

 スーチー氏は平和賞受賞当時、自宅に軟禁中で授賞式に出席できなかった。16日の記念講演についてスーチー氏は「21年間、スピーチの準備をしていたわけではない。先週、書き始めたばかり」と報道陣を笑わせたあと、「21年間の私の経験と、その経験を経て、私が今ここにいることについて話すことになるでしょう」と語った。

 民主化運動を弾圧した軍との関係について聞かれたスーチー氏は、「私は軍と敵対したわけではなく、民主主義の脅威(軍政)と闘ってきた。民主主義には良質で職業意識の高い軍が必要だ」と柔軟な姿勢を強調した。

 ミャンマーの民主化の進展で海外からの投資熱が高まっていることについて「政府に対してよりも民間セクターに投資してほしい」と述べた。

 会見にはノルウェーのストルテンベルグ首相も同席し、スーチー氏を「民主主義のチャンピオン」と持ち上げ、今後もミャンマーの民主化を支援していく決意を表明した。スーチー氏も、ノルウェー国民によるミャンマーの民主化支援に謝意を表明した。

 オスロに到着したスーチー氏は地元のミャンマー人民主化運動活動家たちの歓迎を受けた後、首相と会談した。会見には内外のジャーナリスト約100人が出席した。

投資で民主化後押し訴え=スー・チー氏

Written By site on 2012年6月15日金曜日 | 3:16

 2012年06月15日 08時14分【ロンドン=内藤泰朗】
ミャンマーの最大野党、国民民主連盟(NLD)の党首、アウン・サン・スー・チー氏(66)は14日、スイス・ジュネーブの国際労働機関(ILO)本部を訪れ、約2週間の欧州歴訪をスタートさせた。13日のILO総会では、ミャンマーの強制労働を問題視し、同国に科していた会議への参加資格停止などの制裁措置を解除する決議案が採択された。

 欧州を訪れるのは約24年ぶりとなるスー・チー氏はILO総会で演説し、「民主主義にやさしい開発」への投資を呼びかけた。特に、ミャンマー石油ガス公社(MOGE)の名前を挙げて、「財務の透明性」と「説明責任」が欠如しているとして外国企業に投資しないよう促した。一方で「教育など若い人たちへの投資は必要」と指摘し、ミャンマーの民主化と同国の発展に国際社会のさらなる協力を求めた。

6月15日(金)9時41分配信
スイスを訪れているアウン・サン・スー・チー氏(写真)は14日、ジュネーブで開催中の国際労働機関(ILO)総会で講演し、「民主化に貢献するような投資をしてほしい」と呼び掛けた。

スー・チー氏、体調回復=欧州歴訪は予定通り―同行者

 6月15日(金)18時45分配信
 【ベルンAFP=時事】スイス訪問中、体調不良が伝えられたミャンマー最大野党・国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー氏(66)の同行団メンバーは15日、欧州歴訪は予定通り継続されると述べた。体調は回復しているという。
 スー・チー氏は14日、疲労を訴え、夕食会は中止された。同行団の一人は「軽い頭痛はあるものの、気分は良くなった」と語った。

スー・チー氏が記者会見で嘔吐、「心身とも疲れ切っている」

ヨーロッパを訪問しているミャンマーの民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チー氏が14日、体調を崩し、記者会見が途中で打ち切られた。

 スー・チー氏はスイス・ベルンでの記者会見で、「飛行機での移動でとても疲れています。(前回、ヨーロッパに来た)24年前ほど、時差に素早く適応できなくなっているのかもしれません」と述べた。この直後に嘔吐(おうと)し、会見が打ち切られた。この後、行われたスイス大統領との夕食会は欠席したという。

 スー・チー氏は13日にミャンマーを出発し、ノルウェーやイギリスなど5か国を訪問することになっている。

国際労働機関、ミャンマー制裁を解除

Written By site on 2012年6月14日木曜日 | 6:15

6月14日(木)13時40分配信
 【ジュネーブ=石黒穣】国際労働機関(ILO)は13日、ミャンマー政府に対し、住民への強制労働を理由に科してきた会議への参加制限などの制裁を解除した。

 同日開いた総会で、制裁を解除する決議を採択した。14日にはミャンマーの民主政党・国民民主連盟(NLD)を率いるアウン・サン・スー・チー氏が総会で演説する予定で、制裁解除は同氏招待と合わせ、ミャンマーの民主化を後押しする狙いがある。

 ILOは1999年以来、ミャンマーの軍事政権が、危険地域での軍物資運搬に住民を強制的に従事させていることなどを問題視し、政府代表が年次総会以外のセミナーやシンポジウムに出席することを禁止してきた。制裁解除に伴い、ミャンマーはILOが主催する各種会議への参加が認められるほか、職業訓練などの支援も受けられる。

欧州歴訪のスー・チー氏、スイス到着

6月14日(木)14時7分配信
 ミャンマーの民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チー氏が、24年ぶりにヨーロッパの地を踏みました。

 スー・チー氏は13日、ヨーロッパ5か国歴訪の最初の訪問先、スイスのジュネーブに到着しました。スー・チー氏がヨーロッパを訪れるのは、1988年以来のことです。

 「深夜に到着したので、ジュネーブをあまり見られませんでしたが、とても良かったです。嬉しく思い、記憶に残る旅になると確信しています」(ミャンマー アウン・サン・スー・チー氏)

 スイスでは、ILO=国際労働機関の総会で演説する予定です。これに先立ちILOは13日、ミャンマーに科していた「会議への出席停止」などの制裁を解除しました。ミャンマー政府が、強制労働について2015年までに撲滅すると合意したことなどが評価されたものとみられます。

 スー・チー氏は、週末にはノルウェーを訪れ、91年に受賞したノーベル平和賞のスピーチを行う予定です。

ミャンマー制裁を解除=スー・チー氏の演説控え―ILO

6月14日(木)13時17分配信
 国際労働機関(ILO)は13日の総会で、ミャンマーに科していた制裁を解除することを決めた。ILOはミャンマーでの強制労働を問題視し、1999年以来、同国に対する技術支援の提供やILO活動への参加資格を停止していた。解除により、一連の制限が全面的に解かれることになる。
 ミャンマー政府はILOと2015年までに強制労働を撲滅することなどで合意。ILOは14日に同国最大野党・国民民主連盟(NLD)のアウン・サン・スー・チー氏が総会で演説する直前のタイミングで制裁を解除し、ミャンマーの民主化を後押しする姿勢を示した。

異教徒衝突激化 ミャンマーで非常事態宣言

Written By site on 2012年6月11日月曜日 | 7:25

6月11日(月)14時2分配信
 イスラム教徒と仏教徒との衝突によって死傷者が出ているミャンマー西部・ラカイン州に10日、非常事態宣言が出された。

 バングラデシュとの国境地帯に位置するラカイン州では、イスラム教徒と仏教徒が衝突し、放火や襲撃事件が相次いでいる。AP通信によると、8日以降の衝突で少なくとも7人が死亡、17人がケガをしたという。

 こうした事態を受け、テイン・セイン大統領は10日、ラカイン州に非常事態宣言を発令、国営テレビで「事態が悪化すれば民主化に深刻な影響をもたらす」と訴えた。去年3月のテイン・セイン大統領の就任以来、非常事態宣言が出されるのは初めて。

<ミャンマー>西部州で非常事態宣言 イスラム教と仏教対立

6月11日(月)22時11分配信
 【バンコク岩佐淳士】ミャンマー西部ラカイン州で多数派の仏教徒と少数派のイスラム教徒の対立が激化している。イスラム教徒によるとみられる仏教徒少女への暴行事件をきっかけに双方の住民が衝突、6月だけで17人が死亡した。テインセイン大統領は10日、州全域に非常事態宣言を発令。騒乱が拡大すれば大統領が民主化と共に進める民族・宗教の「国民統合」が妨げられる可能性もあり、事態収拾を呼びかけた。

 ラカイン州はバングラデシュ国境にあり、仏教徒が9割のミャンマーでは例外的にイスラム教徒も多い。

 5月末に仏教徒の少女がイスラム教徒とみられる集団に乱暴・殺害され、「報復」として仏教徒の集団が6月3日にバスを襲撃し、イスラム教徒10人が殺された。反発したイスラム教徒らが8~9日、仏教徒の民家に放火するなど暴動を起こし、仏教徒ら7人が死亡した。衝突は州都シットウェにも拡大。政府は9日、フラミン国防相を派遣し、治安強化に乗り出していた。

 ラカイン州にはイスラム系少数民族「ロヒンギャ」が住む。国民と認められず迫害され、旧軍事政権時代には多くが難民化した。今回、イスラム教徒が過激化した背景には、そうした「民族問題」もあるとみられる。

 テインセイン政権は少数民族問題の解決に力を入れるが、北部カチン州では少数民族カチン族との戦闘が続くなど実現のめどは立たない。最近の住民デモの原因となった電力不足はカチン族武装組織が鉄塔を破壊したのが一因とされており、「国民統合」が進まなければ、民主、経済改革の実現も難しい情勢だ。

ラカイン州に非常事態宣言=住民衝突激化で―ミャンマー

Written By site on 2012年6月10日日曜日 | 9:10

6月10日(日)23時55分配信
 【バンコク時事】ミャンマーの国営放送は10日夜、仏教徒とイスラム教徒住民の対立が激化している西部ラカイン州に非常事態宣言が出されたと報じた。テイン・セイン大統領はテレビで演説し、事態収拾のため、すべての国民に政府と協調するよう訴えた。
 国営メディアによると、ラカイン州の町では放火などでこれまでに7人が死亡した。非常事態宣言に先立ち、午後6時から午前6時までの夜間外出禁止令と5人以上の集会禁止措置が州都シットウェにも拡大されていた。

住民衝突、4人死亡=西部の町に夜間外出禁止令―ミャンマー

Written By site on 2012年6月9日土曜日 | 7:50

緊急事態に政府軍のヘリが緊急到着

6月9日(土)10時47分配信
 【バンコク時事】ミャンマー西部ラカイン州の町で8日、イスラム教徒と仏教徒の住民同士の衝突があり、AFP通信によると、4人が死亡した。国営メディアは同地域に夜間外出禁止令が出されたと報じた。
 同通信によれば、仏教徒の女性がイスラム教徒に暴行された事件をきっかけに住民同士の対立が激化。イスラム教徒の乗ったバスが襲撃される事件も起きた。8日にはイスラム教徒の放火などにより、仏教徒4人が死亡した。

ミャンマーのコメ輸出、三井物産が仲介の方針

Written By site on 2012年6月8日金曜日 | 4:01

6月8日(金)18時55分配信
 【ネピドー=永田毅】三井物産の飯島彰己社長は7日夜、ミャンマー産のコメを輸出する方針を明らかにした。

 今月にもシンガポールに試験的に実施し、東南アジアや中東、アフリカに順次拡大する。精米や集荷事業への進出も検討する。

 ミャンマーでは、外国企業による直接貿易が禁じられており、ミャンマー企業が輸出を行い、三井物産が間に入って販売先につなぐ形で、コメ輸出を行う。

 飯島社長は、ネピドー事務所の開所式に出席後、「できる限りたくさん(ミャンマー米を)出して外貨を稼ぎ、ミャンマーに貢献していきたい」と述べた。

 大手商社は、ミャンマー政府による経済改革の進展や、欧米の経済制裁緩和や停止を受け、政府機関が集まるネピドーに事務所を設置する動きを加速している。

三井物産がミャンマー首都ネピドーに事務所

6月8日(金)18時47分配信
 三井物産は8日、ミャンマーの首都ネピドーに駐在員事務所を開設したと発表した。現地政府との関係強化が狙い。同国に駐在経験のある長井正成・ミャンマー総代表ら日本人4人を含む16人体勢とする。

 最大の商業都市ヤンゴンに加えネピドーに事務所を開設するのは大手商社では丸紅、豊田通商に次いで3社目。

 ミャンマーは安価な労働力による生産拠点に加えて約6200万人の市場としての魅力も大きい。一方で電力や工業団地などインフラ不足が深刻で、商機もある。三井物産は、現地の豊富な天然ガスを利用した肥料プラントや発電所受注や農産品の輸出なども検討している。

<ミャンマー>スーチー氏、憲法改正を歓迎

Written By site on 2012年6月7日木曜日 | 3:40

6月6日(水)20時28分配信
 【バンコク岩佐淳士】ミャンマー最大野党「国民民主連盟」党首のアウンサンスーチー氏は6日、最大都市ヤンゴンで記者会見し、フラミン国防相が軍優位の憲法を改正する可能性に言及したことについて「(改正に向けた)良い兆しになることを期待している」と歓迎した。

 スーチー氏は国会議員の4分の1を軍推薦枠とする現憲法の改正を求めている。改正に向けては、軍人を含めた与党議員の賛同がハードルとなるが、国防相は2日、シンガポールの国際会議で「時期が来れば軍推薦枠が減らされることもあり得る」と発言していた。

 スーチー氏は会見でこの発言に「とても勇気づけられた」と語った。自らの父が国軍創設者のアウンサン将軍(1947年暗殺)であることから「軍には親愛の情を抱いている」と強調し、「国防相と食事し、話し合うことができれば素晴らしい」と述べた。

UNDPのミャンマー支援 日本主導で正常化へ

6月6日(水)7時55分配信
 【ニューヨーク=黒沢潤】国連開発計画(UNDP)によるミャンマー支援正常化の手続きが今月下旬、日本政府の主導で始まることが分かった。国連外交筋が5日までに明らかにした。改革を進めるミャンマーに対しては、欧米がすでに制裁緩和を発表。同国で今後、経済開放に伴う権益争いが激化すると見込まれる中、日本は一定の存在感を発揮したい考えだ。

 日本は5月から、UNDP本部のあるニューヨークで主要国による非公式会合を数回開催している。今月25~29日に、ジュネーブで開かれる執行理事会(36カ国)会合では、日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)の地域大国であるインドネシア両国が「支援正常化」決議案を提出する。国連外交筋によると、全会一致で採択される見込みだ。

 具体的な支援内容については、ニューヨークで9月に開かれる理事会で協議するが、「国際社会にいち早く復帰させることが肝要」(同筋)との観点から、経済政策や法制度整備に重点を置くことになるという。

 UNDPは1993年以降、軍政が市民を弾圧したことなどを受け、政府への直接支援を制限し、地方自治体を通じ人道支援などを行うにとどまっていた。しかし、ミャンマーの今後の改革次第では、早ければ来年1月にも政府への直接支援が始まる可能性がある。

 天然ガスなど豊富な資源を持つミャンマーは約6千万人の人口を抱え、消費市場としての魅力もあり、日本や欧米の企業がビジネスチャンスを狙っている。
 
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