8月4日(土)3時53分配信
ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏。運動に身を投じる前はイギリスで『ごく普通の主婦』として生活していました。そのイギリス時代からの友人にスー・チー氏の素顔を聞きました。
「最も困難なとき、私はオックスフォードの思い出に支えられました。難題に立ち向かわなければならないとき、大きな助けとなりました」(アウン・サン・スー・チー氏)
アウン・サン・スー・チー氏は今年、実に24年ぶりにミャンマーを出国し、イギリスでは母校オックスフォード大学を訪れ、名誉博士号を授与されました。
現在公開中の映画『The Lady』には、そんな彼女がイギリスで『ごく普通の主婦』として暮らしていたころの様子が描かれています。
イギリス時代からのスー・チー氏の友人、宮下夏生さん。スー・チー氏がビルマ建国の父、アウンサン将軍の娘だとはまったく知らなかったといいます。
「地味な家庭という感じでした。まさかあのスー・チーさんが民主化運動のリーダーになるとは夢にも思わなかったです」(スー・チー氏の友人 宮下夏生さん)
1988年、母の看病のために帰国したスー・チーさんは、軍事政権打倒を目指す民主化運動に参加し、その渦に巻き込まれていきます。長年にわたる自宅軟禁を強いられ、家族は引き裂かれてしまいました。
病を患った夫との再会を願ったスー・チー氏でしたが、一度出国すれば、再入国が認められない状況にイギリス行きを断念。再会を果たせないまま、夫は亡くなりました。
「彼女自身、本当にまったく違った世界に閉じ込められて、今後どうしたらいいかということを非常に悩んだようです」(スー・チー氏の友人 宮下夏生さん)
しかし、スー・チー氏自身は家族と離ればなれになったことについて、後に次のように語っています。
「これは私がした選択です。人は優先すべきものを決めたら、それに従って生きるものだと思います」(アウン・サン・スー・チー氏)
そんなスー・チーさんと宮下さんが再会を果たしたのは、スー・チーさんが自宅軟禁から解放されたあと、去年のことでした。
「20数年ぶりだったものですから、『なつおー』って言って抱きかかえてくれまして」(スー・チー氏の友人 宮下夏生さん)
宮下さんは、スー・チーさんのたたずまいの変わりように驚いたといいます。
「当時は本当に一介の主婦ですよね。今はNLDの党首ですものね。国を率いる方ですので、ぜんぜん違って。でも、あたたかさは同じでした」(スー・チー氏の友人 宮下夏生さん)
そして別れ際、こんな言葉が印象に残ったといいます。
「私の好きな言葉は『親切』っていう言葉なんですよって。それはどういうことですかと聞きましたら、親切は見返りを求めない。愛っていうのは、LOVEは何か見返りを求める。ですから私は『親切』っていう言葉が好きだって」(スー・チー氏の友人 宮下夏生さん)
今年、国会議員となり、ミャンマーの国政の表舞台に上がったスー・チー氏。大きく変わり始めた国で、どのような役割を果たすのか、世界が注目しています。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20120804-00000007-jnn-int