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<ビルマ戦線犠牲者>日英共に追悼 日本人僧侶、初参加

Written By site on 2012年8月14日火曜日 | 10:56

 日英の和解を願って経を上げる佐藤氏(左)=英ベドフォードの教会で2012年8月12日午前11時、小倉孝保撮影

【ベドフォード(ロンドン郊外)小倉孝保】第二次世界大戦中にミャンマー(旧ビルマ)で日本軍と戦った英国退役軍人らで作るビルマ・スター協会ベドフォード支部は12日、犠牲になった仲間たちを追悼する礼拝を地元教会で開いた。英国で日英戦後和解に取り組むビルマ作戦協会(マクドナルド昭子会長)の日本人メンバーらが招かれ、共に追悼した。和解に強硬に反対してきた同支部が日本人を招くのは初めて。

 この礼拝は毎年この時期に開かれており、今年は地元の退役軍人やその家族、地元住民ら約200人が出席。ビルマ戦線で亡くなった兵士らに黙とうしたあと賛美歌を合唱。招待されたロンドン在住、浄土真宗の僧侶、佐藤顕明氏(72)が、平和と和解を願って仏教のお経を読み上げた。また、教会関係者がロンドン五輪に触れ、「国際親善・友好を五輪閉幕後も継続させよう」と呼びかけた。

 ミャンマーでは1941~45年、旧日本軍と英国軍などの間で激戦があり双方に多くの犠牲者を出した。英国ではこの時期、さまざまな団体が日英和解のためのイベントを開いている。

スー・チー氏、大統領と3度目の会談


ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏は12日、テイン・セイン大統領と会談しました。スー・チー氏が下院議員に就任して以降、大統領との会談は今回が初めてです。

 ミャンマーの最大野党・国民民主連盟の党首で民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チー氏は12日、首都・ネピドーでテイン・セイン大統領と会談しました。去年3月にテイン・セイン政権が発足して以降、両者の会談はこれで3度目ですが、スー・チー氏が下院議員に就任してからは初めてとなります。

 会談の内容は明らかになっていませんが、少数民族の問題について話し合われたものとみられます。少数民族問題をめぐっては、ミャンマー西部でイスラム教徒と仏教徒の衝突で多数の死者が出るなど、テイン・セイン大統領が民主化の最重要課題と位置付け、スー・チー氏も解決が重要だと主張してきました。

 スー・チー氏は今月7日、連邦議会下院委員会の委員長に就任。野党の立場から政府が進める民主化改革を後押していくとの姿勢を示しています。

政府公認でデモ犠牲者追悼式典

Written By site on 2012年8月11日土曜日 | 3:46

 8日、ミャンマー中部マンダレーで開かれた88年デモの式典で、祈りをささげるミン・コー・ナイン氏(左端)ら(主催者提供・共同)

ミャンマーで1988年8月に学生らが民主化要求デモを行ってから24年となった8日、同国第2の都市、中部マンダレーで当時の学生リーダーらが出席して犠牲者を追悼する式典が行われた。軍政下では8月8日に式典などを行おうとする動きは厳しく弾圧されていたが、昨年3月に発足したテイン・セイン政権は式典開催を初めて公認し、民主化推進をあらためて印象づけた。

 マンダレーの仏教施設で行われた式典には、今年1月に釈放されたデモ時の学生リーダー、ミン・コー・ナイン氏や、民主活動家、政党関係者ら500人以上が出席。88年デモの重要性を強調し「現在の政治、経済、社会の変化は88年デモの結果だ」とする声明が読み上げられた。

 前日の7日に閣僚2人が現地を訪れ、式典開催にお墨付きを与えたという。式典は最大都市ヤンゴンでも開かれ、500人以上が参加した。

スー・チー氏、英国時代の友人に聞く素顔

Written By site on 2012年8月4日土曜日 | 4:11

 8月4日(土)3時53分配信

 ミャンマーの民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏。運動に身を投じる前はイギリスで『ごく普通の主婦』として生活していました。そのイギリス時代からの友人にスー・チー氏の素顔を聞きました。

 「最も困難なとき、私はオックスフォードの思い出に支えられました。難題に立ち向かわなければならないとき、大きな助けとなりました」(アウン・サン・スー・チー氏)

 アウン・サン・スー・チー氏は今年、実に24年ぶりにミャンマーを出国し、イギリスでは母校オックスフォード大学を訪れ、名誉博士号を授与されました。

 現在公開中の映画『The Lady』には、そんな彼女がイギリスで『ごく普通の主婦』として暮らしていたころの様子が描かれています。

 イギリス時代からのスー・チー氏の友人、宮下夏生さん。スー・チー氏がビルマ建国の父、アウンサン将軍の娘だとはまったく知らなかったといいます。

 「地味な家庭という感じでした。まさかあのスー・チーさんが民主化運動のリーダーになるとは夢にも思わなかったです」(スー・チー氏の友人 宮下夏生さん)

 1988年、母の看病のために帰国したスー・チーさんは、軍事政権打倒を目指す民主化運動に参加し、その渦に巻き込まれていきます。長年にわたる自宅軟禁を強いられ、家族は引き裂かれてしまいました。

 病を患った夫との再会を願ったスー・チー氏でしたが、一度出国すれば、再入国が認められない状況にイギリス行きを断念。再会を果たせないまま、夫は亡くなりました。

 「彼女自身、本当にまったく違った世界に閉じ込められて、今後どうしたらいいかということを非常に悩んだようです」(スー・チー氏の友人 宮下夏生さん)

 しかし、スー・チー氏自身は家族と離ればなれになったことについて、後に次のように語っています。

 「これは私がした選択です。人は優先すべきものを決めたら、それに従って生きるものだと思います」(アウン・サン・スー・チー氏)

 そんなスー・チーさんと宮下さんが再会を果たしたのは、スー・チーさんが自宅軟禁から解放されたあと、去年のことでした。

 「20数年ぶりだったものですから、『なつおー』って言って抱きかかえてくれまして」(スー・チー氏の友人 宮下夏生さん)

 宮下さんは、スー・チーさんのたたずまいの変わりように驚いたといいます。

 「当時は本当に一介の主婦ですよね。今はNLDの党首ですものね。国を率いる方ですので、ぜんぜん違って。でも、あたたかさは同じでした」(スー・チー氏の友人 宮下夏生さん)

 そして別れ際、こんな言葉が印象に残ったといいます。

 「私の好きな言葉は『親切』っていう言葉なんですよって。それはどういうことですかと聞きましたら、親切は見返りを求めない。愛っていうのは、LOVEは何か見返りを求める。ですから私は『親切』っていう言葉が好きだって」(スー・チー氏の友人 宮下夏生さん)

 今年、国会議員となり、ミャンマーの国政の表舞台に上がったスー・チー氏。大きく変わり始めた国で、どのような役割を果たすのか、世界が注目しています。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20120804-00000007-jnn-int

韓国とミャンマー外相が会談 協力強化など協議

Written By site on 2012年8月3日金曜日 | 7:41

8月3日(金)21時12分配信

外交通商部の金星煥(キム・ソンファン)長官は3日、ミャンマーのワナ・マウン・ルウィン外相とソウルで会談。通商・投資や開発協力、資源・インフラ、人的交流の強化などについて意見を交わした。
 ワナ・マウン・ルウィン外相は金長官との会談に先だち、金滉植(キム・ファンシク)首相を表敬訪問した。4日には軍事境界線付近の都羅山展望台などを見学する予定。
 外交通商部関係者は、「ミャンマーでは先ごろ、肯定的な変化が続いている。同国外相の来韓は両国関係を発展させる契機になる」と話した。

【ソウル聯合ニュース】

アジア開発銀行、ミャンマーに事務所開設

途上国の経済発展を援助するための金融機関、ADB=アジア開発銀行が1日、ミャンマーのヤンゴンに事務所を開設しました。ミャンマーへの本格的な援助の再開に備え、技術協力などを行います。

 1日、ミャンマーの最大都市ヤンゴンに開設されたのは、ADB=アジア開発銀行が世界銀行と共有で使用する事務所です。ADBは現在、人権抑圧などの問題からミャンマーへの援助を停止していますが、民主化の動きを受け、技術協力や人材育成など、援助再開に備えた協力を行う予定です。

 事務所の開設にあたってADBの千賀邦夫東南アジア局長は、周辺国とのアクセス整備に関する分野で「民間企業がビジネスしやすい環境を整備していきたい」と述べ、さらに調査・分析を進める考えを示しました。

 ADBは今後、テイン・セイン大統領が進める民主改革の進捗状況のほか、ミャンマーがADBに対して抱えているおよそ5億ドルの債務整理や、アメリカの制裁解除の動きを見ながら本格的な援助再開に向けた準備を進めたいとしています。

Myanmar Now!


ことの始まりはイスラム教徒不法移民若者3人が6月、ラカイン族の少女を暴行した後刃物で刺し殺した。
世の中にそんな非人道的な行為を許す国家、人間は存在するでしょうか?
虐殺、民家の焼き討ち、仏教徒の寺院を壊し僧侶を焼き殺し、奪略などなど まるで無法地帯。
国家と人種の安全を脅かす存在。
それに対しティンセィン大統領も ” これは不法移民問題であり不法移民は受け入れることはできない” とハッキリした声明を出した。 

しかし彼らは
世界のメディアに間違った情報を発信し、
イスラム教徒の人々に不安を煽ぎ
世の中を注目させ、見方にし、
民主主義に向かって全力で進んでいるミャンマーを揺るがせ、
そして国の一部を奪おうとしている。

これは、まるで1920年代のセルビアのコソボ (kosovo)を多数派のアルバニア人(muslim)が奪ったような収拾のつかない状態に
誰かが誘導している、人口を利用した戦略行為としか 言いようがない。

中国、タイ、アメリカの事件、事故などを
http://farazahmed.com/muslims-killing-in-burma-and-our-social-media-islamic-parties-1010.aspx

6ヶ月前からの計画であった
http://wontharnu.com/index.php/news/129-breaking-news-bangali-rohingya-has-been-planning-the-violent-riots-in-rakhine-state-since-last-six-months

実際の写真と画像
http://newarakan.blogspot.jp/2012/06/of-rohingya-terroists-photo-news-this.html
http://www.youtube.com/watch?v=IDdWoGhBXVk&feature=plcp


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