ヤンゴン市内の露天で売られているアウン・サン・スー・チー氏のTシャツ(編集部撮影)
7月24日(火)13時9分配信
ミャンマーに入国するには、観光でも、商用でも、ビザを取る必要がある。北品川にある在ミャンマー大使館には、ビザ申請の人で行列ができている。取材をするには、取材用のビザが必要で、観光、商用よりも取得するのが難しい。それでも通常であれば2~3日で発給されると聞いていた。
今回の取材では、余裕を持って申請した。ところが、待てど暮らせど大使館からは連絡がない。こちらから電話をかけても全く繋がらず、2週間が経ってとうとう大使館まで出向くことにした。受付係は「本国に問い合わせないといけない」と話す。どうやら、取材となると本国にお伺いを立てないといけないらしい。2007年、軍事政権に対する反政府デモを取材していた日本人ジャーナリストが、軍の治安部隊に銃撃され亡くなった。彼は観光ビザで入国していたため、そのことが影響していたのかもしれない。
■「空港から何かしらの監視が付くだろう」
結局、本国から許可が出たのは申請してから1カ月後だった。6月17日、いよいよミャンマーに向けて出発。バンコクを経由して約8時間のフライトで、ヤンゴンに到着した。現地時間19時。日本とは、マイナス2時間半の時差だ。入国審査の列で一番目立つのは日本のビジネスマンだった。ここでも、取材ビザを見せたら、根掘り葉掘り質問攻めにあうのではないかと警戒した。
出発前に日本で何人ものミャンマー通に取材したが、みな異口同音に「空港から何かしらの監視が付くだろう」と言っていた。しかしそれは、杞憂に過ぎなかった。
審査官は何事もなく入国させてくれた。余りにもあっけなかったため、緊張の糸が切れてしまった。
タクシーを拾ってヤンゴンのダウンタウンに向かう。途中、横から強引に割り込む車があり、タクシーの運転手が「あんな運転するのはきっと軍人だ。横柄な軍人は嫌い」と話かけてくる。以前は、公衆の面前で軍事政権を批判すれば秘密警察に連行されたため、こんなことは軽々しく口に出せなかったと言う。
■スー・チー氏への期待と不安 異様な新首都ネピドー
ヤンゴン市内では、露店でお土産用にアウン・サン・スー・チー氏のTシャツが堂々と売られているのが目に入った。かつては自宅軟禁されていた民主化リーダーを称えるような言動もタブーと聞いていたが、本当にそんなことがあったのかと疑いたくなる。同氏率いる最大野党、国民民主連盟(NLD)の旗を飾るタクシーもあった。運転手はNLDを支持し、世間に対して自らの意思を表示しているのだ。街中の風景、出会う人との会話から、民主化は本物だと実感する。スー・チー氏は、噂通り抜群の人気があることがうかがえた。
ただし、スー・チー氏の政治手腕について不安視する声も少なからずあった。「民主化」というスローガンは良いが、その後、どのようにして国を運営していくのか、具体的なビジョンがないというのがその主な理由だ。ある工場経営者は「2015年の総選挙でNLDが大勝でもするようなことがあれば、国が混乱しかねない。今まで行政を担ったことがないNLDが政権運営できるか不安だ」と話した。
また、スー・チー氏を支持しているというよりは、アウン・サン将軍の娘だから支持しているのだという声もあった。国家独立の父であるアウン・サン将軍のポスターや本は、スー・チー氏以上に町の露店では目立っていた。
ネピドーにある国会議事堂前の道路。日本で言えば永田町周辺にあたるが車がほとんど見られない
ミャンマーは2006年に首都をネピドーに遷都している。『地球の歩き方』(ダイヤモンド社)では「一般観光客は立ち入りが制限されている」という理由で、ネピドーについての情報は掲載されていない。「秘密都市ネピドー」などと言われ、外国人がネピドーに入るには検問があるかもしれないと警戒したが、結局何もなかった。田んぼの中に片側4車線の道路が走り、両脇には次々に建設されている高級ホテル、宮殿のような国会議事堂、ヤンゴンのシュエタゴンパゴダを模したパゴダ……。異様な町であることに違いないが、警備体制が厳しい、軍人が目立つなどということもなかった。
WEDGE8月号特集『加熱するミャンマー詣で』
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2073
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